2012年2月23日木曜日

「ものすごくてうるさくて、ありえないほど近い」

監督/スティーヴン・ダルドリー  原作/ジョナサン・サフラン・フォア
出演/トムハンクス サンドラ・ブロック トーマス・ホーン


9.11で父親を亡くした子供が、父の遺した鍵をもとに、
父からのメッセージを探す心の旅を描いた作品。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
  こうゆうテーマの作品は今、日本でみるタイミングなのだろうか、とも考える。
 東日本大震災からまだ1年という今、あまりにも現実が大きくてきれいごとに写りかねない。
 しかし、アメリカ同時多発テロという悲惨な出来事で最愛の父を亡くした少年と一緒になって苦しみを乗り越えていく体験ができるこの映画は貴重だと思う。

大切な人と突然会えなくなってしまうことは人にどれだけ、心的衝撃を与えるかを、成長過程にある子供の不安定さを目の当たりにすることにより感じることができる。

物語の途中で、少年の旅に同行する口がきけなくなってしまったおじいさんとの交流は感動できる。恐怖心が強く、電車やブランコに乗れない少年をなんとかしたいという表情がよかった。
おじいさんも過去に爆発事故により大切な人を失っている。それによって言葉を発することが出来なくなった、という少年と同じ、過去に痛みを抱えているということが二人の距離をぐっと近づける。
少年はおじいさんの肩をすくめる癖を見て、父親の父だと直感し、そこに自分を成長させてくれるであろう父性を求める。なんとも切ないがこころあたたまる情景。


 うるさいことを云うばかりでなく、ありえないほど近くにいてあげる。
 母親の言葉ではなく、少年の気持ちを分かろうとする行動。

大切な人を失うという経験はどんな形であれ、生きている限り誰もが経験することで、それを乗り越えるには、自分たちだけではないということを知り、思いや痛みを共感できることが大切だと教えてくれる。

2012年2月18日土曜日

フェディリコ•フェリーニの『道』

これを好きな映画と言う人にまた出会ったので、観てみることにした。

欲情にこりかたまった旅芸人のザンパノは少々頭の弱いジェルソミーナをタダ同然で買い取った。心の素直なジェルソミーナはザンパノと一緒に旅に出る。

芸を仕込まれたジェルソミーナだが、女好きなザンパノに嫌気がさし、逃げていく。

その後、ザンパノに連れ戻され、綱渡り芸人のいるサーカス団に合流することになる。
そこで出会った綱渡り芸人は何かとザンパノをからかって逆上させる。



ある夜、ジェルソミーナはこぼす。

「私は何の役にも立っていない。顔だって美人じゃないし、頭だって良くない、なんでここにいるんだろう?」と。
とても悲しい顔をする。

それを見て、綱渡り芸人は言う。

「たとえば、この小石だって役に立っている。 空の星だってそうなんだ。 君もそうなんだ。」

それを聞いた、彼女はすっかり笑顔を取り戻し、ザンパノについて行くことを決める。


このシーンは、一夜明けて、電車に揺られている時にふと思い出した。
胸打たれるシーンです。



しかし後日、ザンパノは故障した自動車を直す綱渡り芸人を見かけ、綱渡り芸人を撲殺してしまう。

綱渡り芸人の死に放心状態となり、泣いてその場を離れようとしないジェルソミーナ。ザンパノは役に立たなくなったジェルソミーナを見捨て、去ってゆく。

時が流れ、見知らぬ海辺の町に立ち寄ったザンパノは、耳慣れた歌を耳にした。その町に住む女に尋ねると、頭の弱い女がしばらくその海岸を放浪していたが、誰にも省みられることなく死んでいったという。
それはジェルソミーナがラッパで吹いていた曲。
海岸にやってきたザンパノは、ひとり泣き崩れる。



タイトルにあるように、人にはそれぞれのゆく道がある。
別れて行った人の道が、人の心を揺さぶることもあるのが人生なのかしら。

2012年2月6日月曜日

しあわせのパン

監督・脚本は三島有紀子。
舞台は、北海道にある静かな町・月浦。
東京から北海道の月浦に移り住み、パンカフェ、マーニを始めた水縞尚(大泉洋)とりえ(原田知世)の夫婦。
りえは、大好きな絵本「月とマーニ」を子供の頃から大切に持っている。東京での暮らしの中で父親を失ってしまうと、うまく笑えなくなってしまった。
それを見て、尚が月浦で好きなものに囲まれた生活をしよう、と言ってくれてマーニを開いた。
尚がパンを焼き、りえがそれに合うコーヒーを淹れ、料理を作る。
マーニの前には、湖があり、夜になると月が輝き、常連客とご近所さんたちが集まる。
革の大きなトランクを抱えた山高帽の阿部は、実においしそうにコーヒーを飲み、パンを食べ、近所で農家をやっている夫婦は、子沢山でとても幸せそう。
なんでも聞こえてしまう地獄耳の硝子作家、陽子に、「りえさん、今日もきれいですね」と声をかける郵便屋さん。
まるで絵本の世界のよう。


物語は、夏、秋、冬と、悩みを抱えたお客様がやってきて展開する。

夏の客。
東京から一人の女性、香織が突然やってきた。沖縄旅行をすっぽかされた傷心の香織。そこに北海道から出られない青年、常連の時生がやってくる。沖縄に行ったことになっているので沖縄土産を探したり、日焼けをするために野原に寝そべったりと、香織に付き合う時生は次第に彼女に惹かれていく。
香織のために誕生パーティを開いた水縞夫妻。香織は二人が幸せそうにパンを分け合うのを見て、こころから二人に感謝する。
東京に帰る日、バス停に待つ香織のところへバイクで時生がやってきて二人はそのまま東京へ向かう。

秋の客。
近くに住む小学生の少女、未久。
母親が家を出てしまい、父親と二人暮らしをしているが口をあまりきかない。そんな娘にどう接していいかわからない父親。
水縞夫妻は二人をマーニに呼び、料理をもてなす。母親が得意だったかぼちゃのポタージュを作ってもらうと、最初は違うと嫌がる未久だったが、しばらく一人になって考える。そして、パンとポタージュをおいしいね、と笑顔で食べ始める。
パパと一緒に悲しみたかったと寄り添う娘と父親の姿に涙がこぼれてくる。

冬の客。
吹雪の夜、老夫婦から泊めてほしいと連絡が来る。
この地は二人の思い出の地である。
震災で娘を失い、二人で生きて来たが、妻は病にかかり余命わずか。
夫はこの思い出の地を、最期の地にしようと妻を連れて来ていた。
日に日に衰えていく自分が悲しいのだという。
水縞夫妻は吹雪の中、外に出ようとする老夫婦を引き留め、あたたかい料理をつくる。おいしいと喜んで食べる妻。そして、食べられないはずのパンを口にして「明日もこのパンが食べたい」とつぶやく。夫はその声に希望をみつける。
春、一通の手紙が届く。最期に妻と私に生きる喜びを与えてくれたことに感謝をしているという内容である。


りえのこころはとても純粋で、悲しい人の気持ちが、時々、りえのこころにも入ってきてしまう。
水縞夫妻はお客さまたちをあたたかく見守り、相手を思いやった一言をかける。
客さまがよろこんでくれると、夫妻もとても幸せそうな笑顔になる。
幸せの伝播だ。
夫妻の作った焼きたてのパンを大切な二人で半分こするシーンには涙がこぼれてくる。そして、優しい気持ちになる。

印象的なシーンに、深い雪の上を歩く、りえを真上から撮った絵があって、どうやって撮影したのかなあって思って見ていたら、ラストの「来年の新しいお客さま」につながったのでなるほど〜と思った。
映画館を出て行く人たちの後ろ姿がほっこりしていたのが印象的でした。